統合失調症でも生きてる

イノセンスの咲く丘で

マニュアルミッションが好きなんや

学校を中退してすぐに精神病を発病して、病院へ通うのに原付免許を取れと言われて。




原付免許を取った。




試験場で午前中に筆記試験を受けて、受かったら午後から試験場の近くで実技講習を受ける。




教習バイクは全部おばさんが乗るようなスクーターだった。




教官の一人が倉庫からヤマハのギヤ付きバイク「RD50」(空冷ツーストロークのギヤ付きスポーツバイク、スピードが出る)を持ち出してきて。




それに乗りながら「これに乗ってみろ」と言った。




その場にいた自分と同い年くらいの少年数名は、誰も乗らなかった(自分も含めて)




その時に乗りたかった、乗りますと言えない勇気のない自分が情けなかった悔しかった。




免許証をもらって1週間したら、オヤジが原付バイクを買ってくれると言う。




当時主流だったスクーターのJOG(ジョグ)かDJ1(ディージェーワン)にしようかとカタログを眺めていたけど。




オヤジと買いに行った地元のモータースの軒先に、ホンダの空冷4サイクルギヤ付きオフロードバイクXL50Sの中古が並んでいた。




自分にははっきりと聞こえた。ガソリン臭い夜のそこに存在して居たXLが「乗れるもんなら乗ってみろ」と言っていた。




オヤジが「何が欲しい」と言うので、すかさずそのギヤ付きバイクを指さして「これが欲しい」と言った。




オヤジが「こんなのが欲しいのか?」と驚いた。




赤いホンダカラーのオフロードバイクだ、産まれて初めて乗るバイクは、中古のマニュアルミッションバイクになった。




納車の日、モータースのおっさんに徒歩で並走して走ってもらいながら乗り方を教わった。




「はいそこでクラッチ切ってギヤを入れるだ」




すぐに乗り方を覚えた。




買ってから毎日が楽しくて仕方がなかった、毎日浜松市内をXL50で走り回った、昼でも夜でも。




まだ時代は昭和61年で俺は18歳だった。




毎日病院へ就労訓練に通うためにバイクに乗った、夏になると病院の紹介してくれた木工所へアルバイトに行くようになる。




家から60キロ全開で30分かかった。




真面目に通った。好きな看護婦さんとデートをしてほしくて。




60キロ全開で右コーナーで7回くらい派手にコケた、吹っ飛んだ。擦り傷と打撲で済んだ。




昔のバイクは鉄で出来てて頑丈だからフロントフェンダーとウィンカーレンズとミラー両方くらいしか壊れなかった。




XLがポンコツだからスズキRGガンマ4型(水冷2サイクル)の新車白色を買ってもらい毎日走った。




XLは買取に出さなかった。思い入れがあるから。ガンマではコケないようにコーナーでゆっくり走った。




リミッターカットしても80キロしか出なかった。




ガンマは腕が邪魔してミラーが後ろ見えないからパトカーに30キロオーバーで捕まって一発免停を喰らってから。




普通車免許を取らずに中型二輪免許を取り126ccの単車を買ってもらう。




今は125ccバイクは大人気だけれど、昔は不人気排気量だった。




125だと言ってよく他人にバカにされた。




ホンダCBX125F2型赤白色、空冷4サイクルの高回転型単気筒。全開で120キロ出た。




バイクの基本を学んだ、無茶な走りしたけど一度もコケなかった。




400くらい乗りたかったけど、維持費が高いから250ccまでしか乗れなかった。




全部で乗ったバイクは、ヤマハRZ250R4型白色、スズキGSX-R250初期型黒色、スズキSX200白色、ホンダCBR250黒色。




全部中古。全部自分で買ったから中古しか買えなかった。




28歳でバイク乗るの止めてから今までずっとマニュアルミッションの車を25年乗り続けた。




昭和60年に原付免許取ってから毎日公道走ってるけど、スクーターもオートマミッションの車も買ったことない。




普通車の免許教習で仲良くなった教官に「なんでマニュアルミッションがいいのか?」と聴かれて。




「ギヤをさばける楽しみがあるじゃないですか」




でも最近、ほかの車が殆どオートマミッションだし、「クラッチを踏むのがめんどくさいなあ」「オートマの車もいいなあ」と考えています。




普通車のコンパクトーカーとか軽とかの安い車のマニュアルですが。全部5足ミッションでした。




もう根性の性分ですね、マニュアルにこだわるのは。