統合失調症でも生きてる

イノセンスの咲く丘で

社会的自立ができない

自分のことを綴ります。




今年81歳になる父親が、熱中症になり、いま救急車で運ばれた。




実姉が付き添って乗っていったが。




エアコンがついているのに、つけないで熱地獄の部屋で夏を過ごす父親はケチだ。




冷房が嫌いで、電気代を節約するためにエアコンをつけない。




ガス代と水道代を節約するために、週2日だけ風呂を沸かす父。




もうろくしてきて、難聴でヨチヨチ歩きの父を見ると。




「オヤジも年取ったなあ」って思う。




そんなこと感じるこの俺も、今年50歳のおっさんだが。




孫を抱かせてやりたかった。




17歳で精神病になり、いくつになっても独り立ちできない自分に、父と母に心配をかけっぱなしで。




親孝行したいときに親はなしとはよく言ったもんだ。




叶わない夢、あきらめた夢はいくつもあったが。




夕刻にエアコンと扇風機をつけて涼みながら、ラジオを聴いていると。




若かった頃を思い出す。




まだ若く、希望に満ちていた楽しかった日々。




苦しいことのほうが多く感じたのは、きっと成長するためなんだろう。




どんな夢でも、望めば必ず叶うと信じて疑わなかった。




呆れるくらい清くてまっすぐだった季節。




スリルも恋もあった、経験値は稼いだだろう。




これから病院へ、オヤジと実姉を迎えに行く。




家族しか助けてくれる者がいないんだから、寄り添い分け合うのが普通だと思うんだけど。




父は助け合うつもりはないらしい。勝手に生きて勝手に死んでゆけということらしい。




厳しくしつけられて育ったが、叱られてばかりで誉められたことは一度もなかった。




だから自己犠牲の精神が根付いたのだろうと思う。




何も持たない自分が唯一人に自慢できることと言えば、自分を犠牲にして人に尽くすことぐらい。




何度も幸せになることをためらった。




何歩も下がって人に道を譲る生き方は、希望を欲しがった。




人生が勝ちと負けでできているのなら、誰だって負けたくないと願う。




その前に自分は救われたいんだ。




貧乏でだらしのない日暮らしの自分が、せめて人並みに生を謳歌したい。




センチメンタルに浸る金曜の午後でした。